Chapter12

アフリカの風

子どもたちの現実1

AFRICAN JAG PROJECT“アフリカの風”の連載も今回で12回目を迎えた。1994年に初めてアフリカ大陸の大地に触れ、その後、アフリカ12カ国を30数回に亘って訪れ、その度に多くの事を勉強させてもらった。机の上の学習では決して理解出来なかったであろう“生きる”ということの根本を身をもって体験出来た事は私のこれからの人生にとって、とても意味のあることだったと思う。特に“African JAG”を始めてからは、大勢の子供たちと触れ合いその子供たちから沢山の事を教えられた。今回はその一部を紹介したい。
アフリカを訪れるたびに子供たちのキラキラ輝く笑顔と生きるパワーに驚かされ、沢山の元気を貰って帰ってくる。どんなにボロボロの服を着ていても、どんなにガリガリに痩せていても、裸足で元気に走り回る姿に圧倒的な“力”を感じる。両親がいない子供も大勢いる。学校に行けない子供だって沢山いる。朝から何も食べていなくても目が合えば笑顔で答えてくれる。村を歩けば、沢山の手が私の手を繋ぐ。言葉が通じなくても笑顔で通じ合えるものがある。そしてその度にこの子供たちの笑顔を失くさないように何をするべきか考える。先進国に依存する多くのアフリカ諸国。自分達だけがステーキを食べられればいいと思っている多くの政治家。力でねじ伏せようとする権力者。嘘ばかりの村人。プリーズ,プリーズと手が伸びる・・・。何度も嫌になる。「自分たちのことでしょ!!」と声を荒げる。もう2度と来るものかと思う。でも そこに子供たちがいる。救われる笑顔がある。だからまた、私はアフリカに来る。
AFRICAN JAG PROJECT『ギブ・ミー・コンドーム!!』村の中を車で走ると「ギブ・ミー・コンドーム!」とあちこちから子供たちからの声が掛かる。一瞬、“どうなっているんだろう?”と戸惑った。でも子供たちは至って真剣。「何に使うの?」と聞くとサッカーのボールを作るのだと言う。アフリカの子供たちは、サッカーが大好きだ。どこの国に行っても裸足でサッカーボールを追いかけている。勿論、本物のサッカーボールを使える子供はごく一部。皮が剥がれてボロボロになったボールでも大事に持っている。
以前、難民キャンプで、長い葉っぱをグルグル巻きにした弾まないボールを触ったことがある。 到底サッカーには向いていない。だから私はキャッチボールをした。子供たちに笑われた。しかし今回、目にしたボールは、コンドームで作られたもの。コンドームを2枚重ねて膨らませ、ある程度の大きさになったら口を塞ぎ、その周りにスーパーマーケットなどで使われている薄いビニール袋を5枚程度かぶせる。それを紐で網目に結び、形を整えて出来上がり。このボールが本当によく弾む。貧しい村の子供たちは皆、このボールでサッカーをしている。たくましい。こういう子供達(→たち)、嫌いじゃない!! でも・・・本当にこれでいいのだろうか?今回ばかりは考えてしまった。大人がコンドームをしないでAIDSに感染して、国の存続の危機に直面している時に子供たちがコンドームでサッカーボールを作っているなんて・・・。
AFRICAN JAG PROJECTアフリカの貧しい村では多くの子供たちが、学校にも行けず働きに出されたり、赤ん坊のお守りをさせられたりしている。男の子は、農園を手伝わされたり、漁の手伝いをしたり。女の子は家事やベビーシッターが主な仕事だ。お手伝い・・というと聞こえはいいが先進国のそれとは大きく違い、まさしく“労働”なのだ。朝から晩まで働かされ、クタクタになって眠る子供たち。勿論、学校にも行けない。私も何人ものそういう子供たちと出会ってきた。そういう子供たちの発育は極めて悪い。13歳の子供が先進国の子供の7歳ぐらいにしか見えなかったりする。そしてそういう子供たちと話をすると皆口々に「学校に行きたい」という。アフリカの大半の子供たちは真っ白なノートなんて見たことも無いと思う。・・・そういえば以前、ウガンダで日本の中学生から贈られた、いらない紙(広告やノートの裏面)をホチキスで留めて作ったノートを持っている子供を見た。この子は、本当に大事そうに手作りのノートを見せてくれた。ノートには、ABC・・が並ぶ。もうすぐプライマリーを卒業だと言っていた。セカンダリーに行きたいけど母親が亡くなり、父親に捨てられたこの子は上にあがる事は出来ない。「勉強がしたい」真っ直ぐな目で私を見た。
こんなに沢山の魚が獲れるのに子供たちのお腹にこの魚が入ることはめったに無い。「これは売り物だから・・」小さな男の子がポツリと言った。旱魃の時にある村を訪ねたら、子供たちがトウモロコシの粒を数十個アルミの鍋で乾煎りしていた。それだけが夕食。この村でも魚は獲れる。でも子供たちはいつもお腹を空かせている。「太っているのはお金持ちの証拠」って子供たちが言っていた。‘94年当初、“日本”という物質文明国に生まれ育った私にとって、アフリカのこの現状は信じがたいものだった。同じ地球上にリアルタイムで生きているにもかかわらずこうも違う世界が存在している。でも、これが彼らの現実だ。足元を救われた思いがした。それ以降、私はアフリカ大陸に足を運び続けている。
・・でも最近、思うことがある。物質文明の最先端にあるわが国のニュースでは連日“親殺し”“子殺し”“自殺”“引き篭もり”“いじめ”“政治家の汚職”“金塗れの事件”が報道されている。何かがおかしい。精神が病んでいるとしか思えない。日本に戻ると心が暗くなる。アフリカでこんな気持になったことはない。どっちが幸せなんだろう?アフリカには、様々な問題が山積している。どれから手を付けていいのか判らない。でもある部分に関しては原因が判っている。だからそれらに関しては、知恵と知識と少しの助けがあれば時間がかかるかもしれないが解決の方向に進むように思う。でも外から見れば、一見幸福そうに見えるわが国の闇の部分は根が深く、深刻な問題のような気がする。
そういえば、以前東京で毎年夏に行っていた“African Market Cafe”でアフリカのドラムマスターとダンスマスターの子供たちを呼んで日本の子供たちと交流を図ったことがあった。勿論、誰でも参加できて無料だったから大人も大勢参加した。日本の子供の多くは不登校や引き篭もりの子供たち。私が当時DJをやっていたラジオのリスナーが全国から遊びに来てくれた。最初、日本の子供達たちは人とコミュニケーションをとるのが下手でどうなることかと思った。しかし一緒に太鼓を叩いているうちに少しずつ笑顔になり、最後には声を出して笑うようになった。アフリカの子供たちとは勿論言葉は通じない。でも身振り手振りでアドレスを交換したり、写真を撮ったり・・・。開期中、毎日通ってくる子もいたぐらいだ。最初は全く喋らなかった子供たちがそこで友達になって沢山お喋りをしていた。なんか、その光景を見ていてこういうことでいいような気がした。閉じてしまった心を無理やり開けるのではなくて音楽やダンスやアートや笑顔・・・そういうものが自然に心を開かせてくれる気がした。もしかしたら日本人の心に巣食った“闇”を救ってくれるのは、アフリカの貧しい村の子供たちの底抜けに明るい笑顔かもしれない。

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